地図のある本
前置きとして、真面目な解説や分析は多くの方々がやっていらっしゃることなので、はここでは自由に思ったこをつらつらと書いていくつもりです。
さて今日は、言わずとも知れたミハエル・バフチンによる『ドストエフスキーの詩学』。
しかも今日は中身には触れません。
のっけから、これのどこに地図があるんじゃ!?と、突っ込まれてしまいそうですが、僕個人としてはキチンと地図のある本だとおもいます。といっても、研究書なので当然といえば当然ですが。
「第1章 ドストエフスキーのポリフォニー小説および従来の批評におけるその解釈」とあります。
バフチンは、これまでどんな研究がなされてきて、ここではどういう視点でどうやって解釈していきますよ、という宣言をしてる。
しかもかなりな分量で。
上で書いてますが、研究書なので当たり前です。
どの研究書にもあるものです。
いわゆる先行研究のマッピング=地図。
これがないとほんと困る。
読んでる人はどこに連れて行かれるのやらと、不安に。
この地図がないのが僕の論文であることは内緒で笑
でも、笑いごとじゃなくて、これが例えば書籍の一章分くらいの論文になると、地図がある論文とない論文が出てくるんですよ。
僕はよく歴史・社会学系の研究している知り合いから指摘される笑
彼らからすると、例えば、ん〜、アーサーコナン・ドイルの『緋色の研究』についてってなった場合、それって同時代の他の作家や作品と比べた時どういういちなの?とか、当時どれだけ読まれたの?とか、場合によっては今どれだけ読まれてるの?とか、そういう議論をする側の位置に加えて、作品の位置も気になるらしい。
確かに、論文読んでてそういう位置付ってないなーって思う。
博士論文とか書籍にはあるのになーって。
それをきちんと示してくれる。分野によっても違うし、著者のスタイルによっても違いますが、序章でマッピングしてある人と、バフチンのこの本のように1章で書く人とで別れますね。
気合い入れて丁寧に読むぞって本にたいして、僕は意外と序章を最後に読んで読んできた内容を確認する派なので、序章でこれをやられていると「うーん…」となってしまう。
そのくせ自分で書く時は序章に入れる派。
単に、イヤなやつかもしれない笑
いや、そんなことは無いはず!
それでも、まだまだ書くのが下手くそ過ぎてまだまだ修行中。
文章書くのって大変だけど、その修行が楽しいですよね。
さてさて、この本はポリフォニーとカーニバルの二点が魅力。
個人的にはカーニバル論を詳しく読みたいので、内容についてはまた次回にでも、書きます。
平凡社ライブラリーから出てる『ドストエフスキーの創作の問題』の方がわかりやすいという話は聞きますが、どちらも読んでこそでしょう。
というわけで、今日はこのくらいにしておきます。
では、また今度。